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鰐口(要伝寺)

ページID:640726644

更新日:2024年2月20日

要伝寺
令和4年登載

 要伝寺は法住山と号し、日蓮宗に属する寺院です。元和元年(1615)に本是院日厳を開基として創建されたといいます。明治37年(1904)に出版された銅版画「東京市下谷区上根岸町 日蓮宗法住山要伝寺之景」によると、境内には、本堂以外にも、庫裏、表門、清正堂などが建てられていましたが、江戸時代を通じて災害による罹災と再建を繰り返しました。 
 本鰐口は、銅製、鋳造、両面に撞座がある両面式の鰐口で、大きさは、面径が31.8センチメートルあります。 
 本鰐口は、銘文によると、安政3年(1856)に西村和泉守が鋳造したものです。同年6月に、題目講中(法華宗系の信徒団体)によって要伝寺に奉納され、本堂もしくは清正堂の鰐口として使用されたと考えられます。現在は外されて、屋内で保管されています。 
 西村和泉守は、神田鍛冶町一丁目に住居した鋳物師で、江戸時代前期(延宝年間(1673~81)頃)から大正時代までの約250年間、十一代にわたって活躍しました。代々、和泉守、藤原政時を名乗りました。西村家所蔵の過去帳に基づく歴代の年代から、本鰐口を制作したのは、九代西村和泉守(明治21年(1888)没)と推定されます(『江戸鋳師名譜』)。九代の作例は41例が確認でき、その分布も関東地方を中心に全国各地に広がっています。
 区内には、西村和泉守の作品が多く残されていますが、そのうち四代の作品として浅草寺の銅造宝篋印塔(宝暦11年銘)、妙経寺(元浅草)の銅鐘(宝暦13年銘)、五代の作品として本龍院(浅草)の銅造宝篋印塔(天明元年銘)が台東区区民文化財台帳に登載されています。しかし、九代の作例は、本鰐口が確認されるのみです。 
 本鰐口は、区内に残る近世後期の作品であり、当該期の江戸を代表する鋳物師の活動や、鋳造技術を知るうえで重要な遺品です。また、江戸時代の資料を失っている当寺や根岸の歴史を伝える資料として貴重です。


鰐口(要伝寺)

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生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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