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金太郎飴作り

更新:2013年7月31日

渡邊鐵男
平成17年3月指定

 飴などの菓子類が発展したのは近世以降で、江戸時代中期(享保年間ころ)に黒砂糖を原料とした菓子が出現しました。文政年間(1818〜30)になって国産の黒砂糖が出回り、菓子の製造技術が進歩して多種多様な菓子が作られるようになると、半生菓子・干菓子・飴類などは、駄菓子として一般化するようになりました。幕末には、かつて庶民が口にできなかった饅頭や羊羹あるいは飴なども、子供が食べる駄菓子となり、それらを売る駄菓子屋も出現したようです。
 江戸時代の書・人倫訓蒙図彙じんりんきんもうずいには飴師の項目が立てられ、挿図には飴を引いて固飴を作る様子が描かれています。飴を引く職人は飴師とよばれ、煮詰めた水飴を冷却し、手で引いて作る飴の製法は、すでに完成していました。
 渡邊鐵男わたなべてつおさんは金太郎飴本店の五代目。幼少の頃から作業を手伝い、学生の頃には飴作りを手伝っていたそうです。大学卒業後も飴の製造に従事していましたが、ちょうど高度経済成長期にあたり、機械で大量生産された飴やキャンディー、他の洋菓子類が廉価で出回ったため、手間のかかる手作り飴では太刀打ちできず、大変苦労をしたそうです。
 飴は廉価な駄菓子として多くの人々に好まれてきました。水飴と砂糖を基本材料としながら、その種類は豊富で、現在までに様々な飴が考案されました。なかでも金太郎飴は、明治時代に考案されたものと思われますが、一般名詞としても使用されるほど知られた菓子で、他に類をみません。しかし、人々の嗜好の変化や機械化による大量生産が原因で、飴を製造する職人はその数を減らし、現在、都内において飴の製造を専業としている職人は多くありません。
 渡邊鐵男さんは、江戸時代に完成された組飴の製造技術を今に伝承し、さらに金太郎飴の技法を継承する人物として貴重な存在です。

渡邊鐵さんの金太郎飴作り
渡邊鐵男さんの金太郎飴作り

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