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谷素外墓碑

更新:2018年3月25日

慶養寺
平成27年3月登載

 谷素外(1733〜1823)は江戸談林派の宗匠として活躍して、西山にしやま宗因そういん(1605〜1682)に始まる談林俳諧の興隆に尽力しました。文化6年(1809)には慶養寺に素外の喜寿を記念した寿碑が建立されています(「谷素外寿碑」を参照)。
 文政六年(1823)2月、素外死去により同寺において葬儀がおこなわれ、本墓碑が建立されました。形状は六角柱で、上部は緩やかに隆起しています。総高107.3センチメートル。現在の台石は後補です。
 同年4月には、寿碑の裏面に、素外の詳細な履歴が追刻されています。それによると、会葬者はおよそ千人に及んだということです。
 幕末から明治初期にかけて成立した山口豊山『夢跡集』によると、慶養寺にあった谷家の墓は、横長の台石の上段に素外の墓碑と妻幸の墓碑(父母も共用)がならび、下段中央に娘民(素塵そじん)の墓碑が置かれていました。また、谷家の墓とは別に、素外と同門の島津富しましんぷ(1731〜1797)の墓もありました。各人の没年は次のとおりです。
  島津富 寛政9年(1797)
  谷幸 享和3年(1803)
  谷素外 文政6年(1823)
  谷民(素塵) 天保2年(1831)
 これらの墓碑の形状は、六角柱で統一されており、明治初期以前には、素外とその家族、同門の墓碑が、統一された意匠で整備されていたことが判明します。
 昭和15年に刊行された磯ヶ谷紫江『谷素外墓碑と慶養寺江湖院墓域』には、関東大震災前後の状況が記されています。震災前の旧墓地にあった谷家墓は「三基一列の墓域」であり、通路をはさんだ向かいには島津富墓がありました。震災後、昭和14年2月には、素外墓は同寺の特設墓地にありましたが、妻幸、娘民、島津富の墓碑は、廃墓石として別置されていたということです。
 本墓碑は現在、寿碑と並んで同寺境内に保存されており、素外を中心とした江戸談林派に関する貴重な歴史資料です。


谷素外墓碑

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