広報たいとう
平成24年(2012)1月1日(No.1052)号
2・3 面

平成24年 新春対談

「温かい下町の人情を大切にしていきたいですね」

吉住弘区長の写真 尾藤イサオ氏の写真 「ふるさと台東区を盛り上げていきたいですね」
▲吉住弘区長 ▲尾藤イサオ氏

尾藤イサオ(びとういさお) 歌手・俳優

昭和18年11月22日生まれ。台東区出身。
父は落語家の3代目松柳亭鶴枝。昭和28年に、曲芸師の鏡味小鉄の内弟子となり、幼少時代は太神楽(だいかぐら)の曲芸師として活躍。昭和36年に18歳で歌手デビュー。昭和38年には、第20回記念「日劇ウエスタンカーニバル・プレスリー賞」を受賞。昭和40年には「悲しき願い」がヒット。昭和41年、ビートルズ日本公演に出演。エネルギッシュで熱い歌唱が持ち味の歌手として、ボクシングアニメ「あしたのジョー」の主題歌は、いまだに名曲として語り継がれている。
現在も、歌手のほか、貴重な個性派俳優として、テレビドラマ・映画など多方面で活躍中。平成22年・同23年に「いろは会商店街」で行われた「あしたのジョーのふるさと祭り」に出演。

 昨年10月に開催された「あしたのジョーのふるさと祭り」(注1)で、今も変わらぬ熱い歌声を披露された尾藤イサオさんをお招きして、新春対談を行いました。
 台東区での幼少のころの思い出や、曲芸・歌との出会いなどについて、お話していただきました。

◆正月の過ごし方

区長 あけましておめでとうございます。

尾藤 あけましておめでとうございます。

司会 お正月は、どのようにお過ごしですか。

尾藤 ここ何年かは、家族と一緒に家で過ごしていて、初詣は毎年、近くの神社に行っています。月並みですけど、何はともあれ健康で仕事をさせてくださいとお祈りしています。

区長 私も毎年同じで、元日は地元の神社に行き、2日は浅草公会堂の新春歌舞伎でご挨拶(あいさつ)させていただいています。その後、家族と箱根に行き、箱根駅伝を見るというのが、新年の恒例行事です。まあ、何といっても、健康ならありがたいですね。

尾藤 吉住区長もそうですけど、私も代えが利かないですから。

区長 確かにそうです。

尾藤 具合が悪いからといって、他の人に行ってもらう訳にはいかないですからね。でも、逆にそれが自分にとってよいプレッシャーになるし、だからこそ健康で1年過ごさなければという気になります。

◆幼少のころの思い出

司会 お二人とも台東区出身ですよね。

尾藤 そうなんですよ。区長は、私の2年先輩です。先日、坂本小学校のクラス会があったんですよ。そこで、「吉住さんは坂本だよ」と聞いて、びっくりしました。私が生まれたのは御徒町で、それこそ、現在の御徒町台東中学校のあたりです。物心ついたときには小島町に住んでいました。小島小学校に4年生まで行きまして、5年生のときは荒川区、6年生からまた台東区に戻って坂本小学校に通っていました。

司会 そのころの思い出をお話いただけますか。

尾藤 上野の山で遊んだり、また浅草に昔、ひょうたん池があって、そこでザリガニを取ったりとか、蔵前国技館(※)が建つ前の空き地でも、よく遊んでいましたよ。
(※)蔵前国技館は、現在の両国国技館が造られるまでに、東京で行われていた大相撲本場所の開催地。跡地は現在、東京都下水道局北部下水道事務所。

区長 国技館が両国から蔵前に引っ越す前で、まだ更地だったんですよね。

尾藤 他には、蔵前の問屋さんあたりで、花火などをよく買ったりしていました。あとは、何といってもお祭りですね。

区長 そうですね、台東区といえばお祭りですよね。年中、どこかでやっていますよ。私は、お祭りなどに代表される下町文化を生かして、本区の魅力を広く発信していきたいと思っています。

司会 尾藤さんのお祭りの思い出はどのようなものでしたか。

尾藤 何もないころだからお祭りは楽しかったです。町内でおそろいの浴衣があったんですけど、それが買えなくてね。私の家では、母親が今でいうパッチワークみたいに、手拭いで浴衣を作ってくれました。でも、浴衣がみんなと違うから、少し寂しかったですね。うちの母親はお祭り好きで、家の前に台を置いて、お神輿(みこし)を止めてしまうんですよ。そこで、お酒を配ったりしていました。それにしても、下町のお神輿は、例えば鳥越の千貫(せんがん)神輿なんかは大きさがすごいですよね。本当に立派だと思います。

区長 大きいのが当たり前だと思っているから、山の手の方へ行くと、下町の子ども神輿を大人が担いでいるみたいに見える時がありますね。

尾藤 そうなんです。この町会は子ども神輿しか出ていないのかなと思ってしまいます。

司会 尾藤さんは、どのようなお子さんでしたか。

尾藤 私は5人兄弟の1番下なんですよ。小学校に入ると、出席を取るときに「尾藤?尾藤ってあのお兄さんがいる、あの尾藤くんか?」なんて先生の様子が違うんですよ。1年生のときは3年生にすぐ上の兄、6年生にも兄がいたんです。両方とも学校で相当やんちゃだったらしいんですよ(笑)。ですから、学校に行くのがいやでいやでね。そういえば、6年生のとき、当時の担任の先生がすごく良い方で、今でも涙が出てきちゃうくらいなんだけど。私が荒川区から転校する前に、先生からクラスのみんなに「尾藤くんをみんなで応援してあげてね」と言っていただいたみたいなんです。そのお陰で、みんながすごく温かく迎えてくれたんですよ。子どものころのそういうことは今でも記憶に残っています。

区長 そうですよね、大人のちょっとした一言で、子どもは励まされたり、傷ついたりするものです。子どもに大人がどのように接するかで、子どもの成長に大きな影響を与えますよね。

尾藤 本当にそうですね。

司会 吉住区長も同年代ということで、幼少のころで重な る思い出がありますか。

区長 尾藤さんのお話を聞いていて、町やお祭りの様子とか、本当に当時はそうだったなと思い出されますね。私も尾藤さんと同じ世代ですが、小さいころは、よく不忍池で釣りをしていましたよ。あと、昔、言問通りにトロリーバスが走っていまして...。

尾藤 ええ、池之端のところから、言問通りを通る今井(江戸川区)行きのがありましたね。

区長 そうです、そのトロリーバスで、友達3人とおにぎりを持って、よく釣りに行きましたよ。電車のパンタグラフみたいに、道路上の架線から電気をとって、バスが走っていたんですよ。

上野・今井間を走るトロリーバスの写真(昭和27年)

▲トロリーバス 上野・今井間(昭和27年)

尾藤 今思うと、すごいですね。

区長 環境にやさしい乗り物です。

尾藤 そういえば、昔に比べて、今は暖かくなりました。昔、小島町に「姫の湯」という銭湯がありましてね。うちから近かったので、兄弟3人でよく歩いて行きました。何しろ物がないころですから、1本の手拭いでお互いに洗っていました。お風呂を出て、手拭いを持ちながら歩いて3、4分で家に着くと、手拭いを逆さまにしても凍っていました。当時は、東京でも氷柱(つらら)がよく見られました。それと、小島小学校の公園のところに貯水池がありましたよね。そこで、スケートをやりました。まあ、スケートといっても、スケート靴を履いたりじゃないですよ。要するに氷の上に乗って、スーッとすべるのがスケートだったんですよ。もちろん、氷の厚さを測ってやっていました。それくらい、昔は寒かったです。

区長 そうですね。雪が降ると、鶯谷の凌雲橋の坂のところによく積もっていて、私は、そこをスキーのように滑っていました。いや、スキーと言っても、竹ですよ、そんな格好のいいものじゃありませんけど。

尾藤 そうそう、竹を焼いて、スキー板のようにしてもらっていましたよね。

区長 それに、坂本小学校の屋上で遊んでいると、東北から来た汽車の屋根に真っ白な雪がいっぱい積もっていました。でも、今はそれが見られなくなってしまいました。それだけ暖かくなってきた証拠でしょうか。地球温暖化は、今まさに私たちが直面している危機とも言うべき問題ですよ。今できることから、一歩一歩やっていかなければなりませんね。

◆曲芸・歌との出会い

司会 お二人の話を聞いていると、昔の台東区が目に浮かんでくるようですね。ところで、尾藤さんは、そのころから曲芸をされていたとか。

尾藤 はい。小学6年生のときに、山伏町(現在の北上野)に曲芸をやる師匠がいまして。

区長 鏡味小鉄(かがみこてつ)さんですよね。

尾藤 そうです。

区長 実は、私も昔から小鉄さんをよく知っていたんですよ。

尾藤 どうしてですか。 まさか曲芸を習っていたとか。

区長 いやいや、曲芸は、まったくやらないですけどね(笑)。昭和49年ごろ、いろいろなことで、小鉄師匠には大変お世話になったんですよ。

尾藤 そうでしたか、うちの師匠がいろいろとお世話になりまして(笑)。昭和49年といいますと、私はもう歌手として活動していました。

区長 そのとき小鉄師匠から「今、テレビで歌っている尾藤イサオ、あれはおれの弟子だよ」という話をよく聞いていました。

尾藤 私は、11歳から小鉄師匠のところに弟子としてお世話になっていました。6年間修行して、最後の1年間はずっとアメリカに行っていました。そのアメリカから帰ってきた後、師匠が「これから独立してやっていいんだよ」と言うので、「じゃあ、今日で曲芸をやめさせていただきます」とお願いしました。すると師匠は「お前は何を考えているんだ!曲芸やめて何になるんだ」と。そこで、「プレスリーみたいな歌を歌いたいです!」と言ったら、師匠が「不良になるのか」と(笑)。もちろん、師匠もそうですけど、兄弟子にも家族にも、「イサオは何考えてるんだ」と怒られました。それは、私が17歳になる前のことでした。

区長 そうでしょうね。長年、かわいがった弟子の尾藤さんが曲芸をやめて、突然、歌を歌うと言ったから、さぞかし小鉄師匠も驚かれたでしょうね。

尾藤 曲芸を始めて、2年くらいしたら、プレスリーが出てきたんですよ。そこから、一生曲芸で終わるのではなくて、歌が歌いたいと思うようになりました。ただ、とにかく年季奉公だけは、一度決めたことなので、きちんとやっておこうと。芸は身を助けるじゃないけれど、ずっと舞台で曲芸をやっていたからなのか、何か他の人とは違ったんでしょうか。歌を歌い始めたら、すぐ世の中に出ることができました。まあ、師匠からは、はじめは勘当でしたけど(笑)。

◆「あしたのジョーのふるさと祭り」を振り返って

司会 一昨年、昨年と、いろは会商店街で開催された「あしたのジョーのふるさと祭り」は、いかがでしたか。

尾藤 台東区で、あしたのジョーの歌を歌えるなんて、これも何かすごい縁ですよね。

区長 商店街で、尾藤さんの歌を聴いた方々にも喜んでいただけたと思いますよ。実は、あしたのジョーの主人公、「矢吹丈」に特別住民票を、という話がありました。しかし、著作権者側によると、ジョーは絶えず動いてひとつのところに住んでいないから、住民票があるのはおかしいのでは、という話でした。

尾藤 私も、原作の関係者の方が、「やっぱりジョーに『台東区何番地』というのは、おかしいんじゃないか。どこから来たかわからない、さすらいのイメージがあるから」と言っていると聞きました(笑)。

区長 そうですね。

尾藤 当時、漫画イコール子どもが読むものみたいな時代だったのが、大学生が電車の中であしたのジョーの漫画を読むようになりました。とにかく反響がすごかった。あしたのジョーの物語の中に、力石徹というライバルがいて、矢吹丈と対決するんですけど、結局、力石が死んでしまうんですよ。

区長 そうでした。

尾藤 当時、出版社が力石のお葬式をやったんですよ。力石の大きな写真が飾ってあって、祭壇の前に次から次へとファンが訪れる姿はなんだか、自分が漫画の中にいるみたいでしたね。

司会 「あしたのジョーのふるさと祭り」のコンサートは盛り上がりましたか。

尾藤 実際に商店街で歌を歌ったら、私と同い年くらいの方たちに大勢集まっていただき、また、いろいろ声もかけていただきました。歌が終わってからも、商店街を歩いていると、たくさんの方がずっと後ろからついてきてくれました。本当にうれしいことです。

いろは会商店街で熱唱する尾藤氏の写真 ふるさと祭りの商店街の様子の写真
▲いろは会商店街で熱唱する尾藤氏 ▲ふるさと祭りの様子

区長 このイベントは、漫画の実写化がきっかけで、地域をあげて実施されました。このような地域や商店街の皆さんが企画立案された手づくりのイベントは、商店街の事業として模範となるものです。今後も、このような地域との連携事業を積極的に支援していきたいですね。

◆歌や芝居への取り組み

司会 尾藤さんは、歌手としてだけでなく、俳優としても活躍されていますよね。何か秘訣(ひけつ)などはありますか。

尾藤 発声練習をしたり、時間があればよくジムに行ったりしています。

区長 そういう努力の甲斐があってこそ、今のエネルギッシュな尾藤さんがいらっしゃるわけですね。

尾藤 でもまあ、そういうのは努力というより、言ってみればそれが仕事みたいなものですよ。例えば、テレビで歌うにしても、本番は3分も歌えないですけど、その3分のために準備しています。簡単なことではないですけど、最後のそこにいくまでが仕事ですからね。そのためには、まず体づくりということです。

区長 なるほど、表には見えない努力をしていらっしゃるんですね。これからもますますのご活躍を期待しています。

尾藤 いやいや、皆さんに応援していただいてこそです(笑)。とにかく、がんばってやりたいと思います。

◆台東区の魅力

司会 今の台東区の魅力はどんなところでしょうか。

尾藤 ちょっと横丁に入ると、子どものころの町の面影がいまだにあるんですよ。町並は、ほとんど変わっていますけど、表通りから少し入っただけで、何か風情を感じます。

区長 台東区には、まだ、昔からの路地が多く残っています。このような路地裏の文化に象徴されるような、温かい下町の人情を大切にしていきたいですね。

尾藤 そうですね。台東区は、私が生まれたときにあった風情のある家が今も残っています。ふと、ああ、ここだよなというような。何か、涙が浮かんでくるんですよ。古い町並みも舞台や映画のセットでいくらでも作れるけど、生でその雰囲気にふっと浸れるっていうのは素晴らしいことです。

区長 やっぱり、ふるさとなんですね。

尾藤 台東区へ来ると、帰ってきたと感じますね。

◆今年の抱負

司会 今年の抱負を教えてください。

尾藤 とにかく健康に注意していきたいですね。また、おかげさまで昨年、おじいちゃんになったんですよ。これからは孫のためにも、体に気をつけて、健康でいたいと思います。また、これをご縁に、台東区でもいろいろお手伝いできればと思っています。

区長 ありがとうございます。私も今年1年、健康に気をつけながら、仕事を通して区民の皆さんに「台東区に住んでよかった」と思われるまちづくりをしていきたいと思っています。

司会 今日はありがとうございました。

尾藤 区長 ありがとうございました。

対談の様子の写真(左から司会の篠崎アナウンサー、吉住区長、尾藤イサオ氏)

▲対談の様子(左は司会の篠崎アナウンサー)

(注1)「あしたのジョーのふるさと祭り」 

漫画「あしたのジョー」は、台東区と荒川区の境にある泪橋の下に、ボクシングジムを構えていたという設定で描かれています。その泪橋付近の「いろは会商店街」を「あしたのジョー」のふるさととして全国的にPRし、活性化させるため、一昨年に続き、昨年10月に「あしたのジョーのふるさと祭り」が開催されました。
 当日は、尾藤イサオさんのコンサートのほか、スタンプラリーや子どもたちのためのボクシング教室などが行われました。

「あしたのジョーのふるさと祭り」ポスターが貼られている様子の写真

▲「あしたのジョーのふるさと祭り」ポスター

次のページに進みます

広報たいとう1月1日(No.1052)号の目次に戻ります

広報たいとうトップに戻ります

台東区ホームページのトップに戻ります