令和6年

新春対談 台東リバーサイドスポーツセンター第2武道場にて

松山 恭助氏(フェンシング日本代表) 台東区出身。徳風幼稚園・金竜小学校・駒形中学校卒

台東区の魅力について

区長 あけましておめでとうございます。

松山 あけましておめでとうございます。

司会 本年の対談は、フェンシング日本代表の松山恭助選手です。松山選手はフェンシングフルーレ日本代表として東京2020大会に出場し、団体戦で4位。また2023年にミラノで開催された世界選手権の団体戦において、日本で初めて金メダルを獲得し、個人戦でも銅メダルを獲得されました。日本代表のキャプテンとして数々の大会に出場されている松山選手は台東区出身です。
 まずは、松山選手が感じている台東区の魅力についてお聞かせください。

松山 生まれも育ちも台東区ということで、小学校の時の友達や、その親御さんも僕が幼い頃からフェンシングで戦っているのを知っていて、本当に応援していただいています。皆さんすごく温かいなっていう印象があります。あとは、遊ぶところもたくさんあるので、小さい頃から地元の友達と楽しく過ごしていました。

司会 服部区長は台東区の魅力についてどのようにお考えですか。

区長 台東区には、江戸の昔から続く伝統行事、神社仏閣、名所旧跡の数々があります。また、上野や浅草をはじめとした街とそこに住む人々の暮らしの中には、今も江戸の心と文化が息づいています。
 江戸からつながる伝統文化、これはまさに本区のアイデンティティであり、台東区を成長そして発展させてきた活力の源だと思っています。
 また、四季折々の伝統行事など、1年を通して区内全域でさまざまなイベントが開催されています。
これらの行事は、区民の暮らしに根差した文化が育ててきたものと考えています。
 このような文化こそ、台東区の魅力であると思います。

昨年を振り返って

司会 区長、昨年はどのような1年でしたか。

区長 昨年は、5月に新型コロナウイルス感染症が5類に移行するなど、コロナ禍から徐々に日常生活を取り戻して、まちに活気が戻ってきたと感じています。
 4年ぶりに隅田川花火大会が開催されました。素晴らしかったですね。
 また、生誕100年を迎えた池波正太郎氏を台東区名誉区民に推戴しました。池波正太郎氏は台東区の誇りです。さらに多くの方に魅力を伝えてまいりたい、そのように思っています。

司会 では、続きまして、松山選手に伺います。松山選手にとってどのような1年でしたか。

松山 日々の積み重ねが、世界選手権の個人戦の3位と団体戦の優勝に繋がったと思っています。シーズンが始まる前は、ここまで勝てると思わなくて、毎日不安だったんですけど、日々しっかり成長し続けることを念頭において練習にも取り組んでいました。それがひとつ花開いて、良かったなと思います。

区長 本当に大活躍の1年でしたね。昨年の8月に、特に優れた活躍により、広くスポーツの振興に寄与されましたので、台東区初となるスポーツ功績賞を授与させていただきました。今後も、さらなる活躍を期待しています。

松山 初めての素晴らしい賞を台東区からいただいて、すごく嬉しいです。ただ、世界選手権で大きな結果も残すことができたんですけど、1年間の長いシーズンの中で調子が良い時と悪い時の差もはっきりと出てしまったので。悪い時でもしっかりと平均的に良いパフォーマンスができるように、まだまだ頑張っていかないといけないなと思っています。

区長 大いに期待をしていますから、頑張ってください。

フェンシングについて

司会 次に、フェンシングについていろいろとお話を伺いたいと思います。

区長 フェンシングは、フルーレ、エペ、サーブルの3種目があるんですね。

松山 僕が実際にプレイしているのはフルーレという種目で、日本ではおそらく1番人口が多いと言われている種目です。フルーレから入って、そこからエペやサーブルに移ったりします。僕みたいにフルーレで戦い続けるっていうのもありますね。

区長 試合展開が本当に速くて、スローで見てやっと分かるぐらいですね。その場の気力というか気合というか、大変なものがあるんですか。

松山 集中力っていうのは、すごく大事な要素だと思います。100%集中できてないと、その一瞬で相手に突かれてしまうこともあるので、いかに集中して試合に入り込むかというのが大事な要素になってきます。そこが本当に大変です。一瞬で決まるので、スローで見ないとどうしてもわからない部分は多いと思います。攻守の攻防も本当に激しいです。集中力だけではなく、前後の激しい動きの中でのダイナミックさやフットワークっていうのも非常に大事になりますね。

区長 松山選手は左利きなんですよね。

松山 僕はたまたま、フェンシングを左利きで始めました。世界には、いろいろなスタイル、いろいろなタイプのフェンサーがいます。例えば身長が2m級で手足がものすごく長い選手がいたり、身長が小さくて動きが早い選手がいます。それが右利き・左利きとかっていうのでも変わってきますし、階級もないので全ての選手が同じフィールドで戦うことになります。世界に行った時には、そういった選手とうまく戦わなくちゃいけないというのがありますね。

区長 得意技や強みはあるんですか。

松山 テクニックにはすごく自信を持っています。細かい指の動きで狭いスペースをうまく突くとか、ダイナミックな動きの中でもミスなくプレイをしっかりするとか。あとは大舞台の要所でなぜか出るのが、この「ジャンピング振り込み」と言って、相手の背中に振り込む技です。これも特別狙っていたわけではなくて、たまたまこのタイミングならいけると思って出した技です。狙っているわけじゃないですけど、いつも大舞台のいいところで調子がいいと出てくるんで、ひとつの強みなんだろうなって思います。

区長 いろいろな駆け引きがあるんでしょうけども、フルーレの試合の見所はどのようなところですか。

松山 世界に行くと本当にいろいろなタイプの選手がいて、小さい選手がどうやってこの大きい選手を倒すんだろうというところも、フルーレだけではなくフェンシングの魅力かなと思います。あと、ダイナミックな動きの中での剣さばき、剣の音や選手が動く音、足を踏み込む音など、全てがやっぱりフェンシングの魅力かなって思います。映像を見ていると分からない部分も多いんですけど、実際に見るとこんな大きい選手と戦っているんだって、結構驚かれることも多いです。とにかく魅力はたくさんあるので、生で見ていただきたいというのが僕の思いですね。

フェンシングを始めたきっかけ ~今の心境、世界を舞台に活躍~

司会 フェンシングを始めたきっかけを教えてください。

松山 4歳のときに、母の勧めで兄と始めました。母が、台東区の広報紙に、台東リバーサイドスポーツセンターでフェンシングが行われているというのを見つけて、それで気軽に足を運んだのがきっかけです。
 まさにこの場所で練習していたので、今日久々に来たんですけど、本当にいい意味で何も変わってなくて。本当に懐かしいなって思っています。

区長 その当時、フェンシングをしている方は今と比べるとまだ少なかったと思います。そういった中で、ずっと続けていこうと、そんな気持ちになったのは何かありましたか。

松山 幼い頃から全国の大会で優勝して、勝つ喜びを早い段階で知れたっていうことが大きいです。幼いながらに、フェンシング面白いな、すごくかっこいいなって思いながらプレイしていました。ここには、そういう思い出がたくさんあります。

司会 松山選手は、平成25年にこのリバーサイドスポーツセンターで開催されたフェンシングの国体で優勝されています。改めてリバーサイドスポーツセンターはどのような場所ですか。

松山 とにかくここが原点なので。今日、本当にこの場に今いられて嬉しく思います。当時僕が高校2年生の時、国民体育大会がこの場所で行われて、その時も特別な思いがありました。国体はずっと出場することができるんですけど、その中でも台東区のこの場所で国体が行われるってもう一生に一回の経験じゃないですか。ちょっとしたプレッシャーがかかっている部分もあったんですけど、本当に全てがうまくいって、しっかり勝ち進むことができて、結果的に優勝できました。この場所は国民体育大会以外にもいろいろな大会が行われていたんですけど、すごく相性は良かったです。

司会 松山選手は、19歳の時に太田雄貴さんから日本代表のキャプテンを引き継いでいます。

区長 日本代表のキャプテンは大変な重責で、チームをまとめていくっていうのはいろいろ大変なこともあると思いますが、心掛けていることはあるんでしょうか。

松山 19歳で初めてキャプテンを引き受けて、その当時はキャプテンだからといって特別に何かを変える必要はないと思っていました。けど、どこかで自分がみんなを引っ張っていかなくちゃいけないという思いがあって、周りが思っている以上に自分自身に対してプレッシャーをかけすぎてしまい、苦しかった時期もすごく長かったです。今振り返ると、みんなに何かを見せようとか、こうでなくてはいけないという理想像が先行しすぎてしまって。逆に今は、ありのままの自分でしっかりと結果で見せるようにしています。チーム全員としっかりコミュニケーションを取ることも心掛けています。朝、会ったら1人1人におはようって言いますし、そういう本当に当たり前のことは今も続けていて、それをすごく大事にしています。

区長 本当に素晴らしいことだと思います。いろいろな大会に出場されていると思いますが、特に印象に残っている大会はありますか。

松山 2022年の10月に、初めて個人で優勝したドイツワールドカップがすごく印象的です。20歳からシニアカテゴリーに参戦して、自分の中ではすぐに活躍して東京オリンピックでも金メダル取ってとか、いろいろ思い描いていたのが全部うまくいかなくて。すごく苦しんでいた時間も長かったです。それでようやくワールドカップで優勝っていう表彰台にたどり着いたことが、自分の人生の中でも、フェンシング人生の中でも大きかったです。

子供たちへの思い

区長 地元の金竜小学校に来て、子供たちにフェンシングを教えていただいていますね。

松山 フェンシングの裾野をもっと広げたいっていうのもありますけど、やっぱり地元でそういう選手がいるというのは子供たちにとっては大きいことだと思います。世界を転々とする日々ではあるんですけど、できる限り子供たちに還元できることはしていきたいなと思います。それがトップアスリートの役目だと思うので。次の世代へのバトンというのも大事にしています。もちろん、フェンシングだけではなく、他のスポーツでもそうなってくれたら嬉しいですね。

区長 子供たちにとっても、フェンシングだけでなく本当にいろいろな意味で、松山選手に来ていただけるだけで励みになると思います。これからもまた、お時間がありましたらよろしくお願いいたします。

今年の抱負

司会 それでは最後に、今年の抱負をお話しいただきたいと思います。

松山 まずは、怪我なく日々成長し続けることを念頭において、パリオリンピックでの金メダルを目指して頑張りたいと思います。
 メダルを持って台東区に戻ってきて、少しでも多くの方にそのメダルを触ってもらいたいと思います。特に、小学生や中学生、地元の人たちにメダルをしっかり見てもらって、皆さんの明日への活力にしてもらえたら嬉しいです。
 そのような思いで、引き続き、頑張っていきます。

司会 続きまして区長、今年の抱負をお願いします。

区長 地球温暖化は国際的な協力が求められる大きな問題となっています。区では、(仮称)台東区環境基本条例案を区議会に提出します。台東区環境基本計画を改定して、ゼロカーボンシティの実現に向けた施策を推進していきます。
 また、こどもまんなか応援サポーターとして、子供たちの健やかな成長を地域全体で支えるまちの実現に向け、全力で取り組んでまいります。
 夏にはパリオリンピック・パラリンピック競技大会の開催が予定されています。区では、東京2020パラリンピック聖火の種火となる「台東区の火」を区役所の屋上で採火しました。それを記念してレガシー銘板を設置するなど、東京2020大会のレガシーの継承に努めています。
 引き続き、スポーツの祭典など、誰もがスポーツに親しみやすい環境づくりに取り組むとともに、オリンピック・パラリンピックへの気運醸成を図ってまいります。