鰐口(寛永寺)
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更新日:2011年1月18日
寛永寺
平成22年3月登載
本鰐口は、青銅製、鋳造。両面に撞座がある両面式の鰐口で、大きさは、面径が48.1センチメートルあります。一方の面には下記のような銘文が左右に振り分けて陰刻されています。
「元和三年丁巳三月吉日」
「御大工 椎名伊与吉次」(潰されている)
本鰐口は、銘文から元和3年(1617)に椎名伊予吉次が鋳造しました。寛永寺にもたらされた経緯及び使用されていた堂宇などの詳細は不明です。
椎名吉次は近世初期(17世紀前半)に活躍した鋳物師で、徳川家康の関東入部に従って、慶長11年(1606)に三河国(愛知県)より下向、正保3年(1646)に病没したと伝えられます(「家伝史料」)。しかし、一方で
作例は、慶長19年(1614)銘の
寛永寺にもたらされた経緯は明らかでありませんが、区内に残る近世の鰐口として古いものに属し、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつです。
鰐口(寛永寺)
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