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銅壺作り

ページID:913402673

更新日:2016年6月20日

星野 昇
平成4年度指定 (同26年認定解除)

銅壺とは、長火鉢の灰の中に置き、その中に水を入れ暖めて常時湯をわかしておくためのものです。明治時代から戦前まで、家庭の日常生活に欠かせない必需品でした。
 はじめ銅壺の形態は、江戸時代後期の随筆によると、火鉢とセットになる調度品としてではなく、つくりつけの銅製のかまどとして登場しました。竈の熱で湯をわかし、洗濯や口すすぎに利用したのです。これは江戸にのみ現れ、京都・大坂では銅製の竈はありませんでした。
 銅壺は、やかんなどと同じく、金床の上で銅板をたたきながら形を整えていくもので、最後の仕上げとして用いられる技法・煮色付にいろつけは、銅やほかの金属を配合し、水を足した溶液の中で煮て色を付けるもので、江戸独特のものです。
 星野昇氏は、大正14年、浅草の銅壺屋・銅銀どうぎんの長男として生まれ、昭和20年から本格的に家業に励み、父・銀次郎ぎんじろう氏とともに銅壺製作を行いました。また、銅壺と必ずセットになる火鉢の内側部分にあたる火鉢の落としも盛んに作りました。
 現在星野氏は、銅壺や火鉢の落としのほか、やかん・きゅうす・鍋などを扱っていますが、銅壺の需要はほとんどなくなり、現在、台東区でただ一人の銅壺作りの職人です。
 星野さんは平成26年4月13日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

銅壺を製作中の星野さん
銅壺を製作中の星野さん

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