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本寿寺版木 附 御鬮箱及び御鬮竹

ページID:408888372

更新日:2024年2月20日

本寿寺
平成14年登載

 この版木は江戸時代後期から明治時代にかけて製作されました。材質はサクラ材。これらの版木から刷られた縁起・お札・おみくじの多くは本寿寺の開帳(秘仏などの寺社所蔵品を一般に公開すること)の際に配布されたようです。

 版木は大きく縁起類8点、札類28点、御鬮7点、の3つに分けられます。

1 縁起類の版木

 文政3年(1820)と嘉永5年(1852)の版木が所蔵されています。日蓮像の由来や病気治癒の御利益について記しています。

2 札類の版木

 祈願成就・商売繁盛・家内安全など、現世利益に関するお札が目立ちます。

3 御鬮の版木・御鬮箱・御鬮竹

 御鬮箱は天保13年(1842)に施主の高崎屋が寄進したものです。御鬮竹は第1番から第28番まであります。版木は全部で7枚あり、1枚の版木に左右2枚分の御鬮が彫られ、各裏表2面ずつあるので、御鬮竹の数と一致します。御鬮は縁談・訴訟・病気・失せ物・待ち人・方角に関する吉凶を示し、信心堅固にすべしなどという信心を勧める言葉で結ばれています。

 本寿寺は、高崎屋という大商人を檀家に得ていましたが、土地を近隣の玉林寺から借地しており、決して裕福な寺院ではありませんでした。江戸中期以降の幕府の政策により堂宇修復は自力で行わなければならなくなった結果、開帳を計画し、その時期に合わせて縁起を出版して由緒や病気に効験あることを宣伝し、現世利益を求めて訪れる人々に応えるため、札や御鬮を配布しました。開帳や御鬮は、近世後期の都市文化の特徴として挙げられますが、特に日蓮宗に顕著であり、本宗派独自の展開を見せた現象です。そして、谷中という地域は、近世後期より明治期にかけて名所化していた地域であり、寺史としてはもちろん、近世都市民の行動文化を裏付ける史料としても、本版木は貴重です。

お問い合わせ

生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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