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企画展「上野公園〜近代の歩み〜」見どころをご紹介!

更新:2020年11月18日

企画展「上野公園〜近代の歩み〜」の見どころ

上野公園は明治6年(1873)に日本初の公園として誕生しました。本企画展では明治初期から昭和に至るまでの上野公園の浮世絵、絵はがき等を展示し、その歴史をご紹介しています。




※浮世絵は劣化を防ぐため、1か月ごとに展示替えを行っています。
 展示期間をご参考においでください。 

   前期: 9月18日(金曜日)〜10月14日(水曜日)

   中期:10月16日(金曜日)〜11月18日(水曜日) 

   後期:11月20日(金曜日)〜12月13日(日曜日)    

寛永寺の歴史

寛永寺は寛永2年(1625)に建立された天台宗の寺院です。慈眼大師天海大僧正によって建てられ、比叡山延暦寺にならっており、山号の「東叡山」は東の比叡山という意味を表しています。後に徳川家の菩提寺としての役割を持つことになり、更に山主を皇室(後の輪王寺宮)から招くことで、格式と規模において日本有数の寺院となりました。

東都名所上野東叡山全図

「東都名所上野東叡山全図」    歌川広重(初代)/画   

天保年間(1830 〜 1844)   資料No.2015_u_010   展示期間:前期

※後期は「温古東錦 正月十日諸侯上野霊廟へ参詣之図」を展示します。


上野戦争

上野戦争は慶応4年(1868)に上野寛永寺で勃発した旧幕府軍の残党である彰義隊と新政府軍による戦いです。5月15日の未明、新政府軍からの攻撃で上野戦争は始まり、寛永寺正門の黒門口、谷中門方面、本郷台の三方から攻撃が行われました。激戦となったのは黒門口で、西郷隆盛が率いる薩摩藩と彰義隊による攻防が繰り広げられました。午後に入り、薩摩藩が黒門を突破し、更にアームストロング砲の遠距離支援もあり、午後5時には彰義隊は根岸方面に敗走し、1日で上野戦争は終結しました。

春永本能寺合戦

春永本能寺合戦    勝川英斎/画
明治元年(1868)11月   資料No.2019_u_005  展示期間:中期



明治維新と同年に描かれた浮世絵です。当時、彰義隊を取り扱うのは規制されていたため過去の合戦名が使われました。手前の松坂屋方面から攻めているのが新政府軍、右奥で燃えているのは現在西郷隆盛像のある山王台です。

上野公園開園と博覧会

上野戦争後、寛永寺は全山没収され、明治6年(1873)太政官布達が出され、芝増上寺、浅草浅草寺、深川富岡八幡宮、王子飛鳥山とともに、上野の山は公園地となりました。明治10年(1877)西南戦争の最中、上野公園で日本初の内国勧業博覧会が行われ、鹿児島を除く全国の殖産興業上有益な物品が出品されました。第1回内国勧業博覧会以降も同14年に第2回、同23年に第3回内国勧業博覧会が同じく上野公園で行われました。

上野一覧内国博覧会之図

上野一覧内国博覧会之図    歌川国定(三代)/画
明治23年(1890)4月    資料No.2013_u_007   展示期間:後期

エスカレーター

(大正博覧会)エスカレーター

大正3年(1914)   資料No.eh_1208

西郷隆盛銅像

明治23年(1890)に薩摩出身の樺山資紀と吉井友実が中心となり、西郷隆盛の銅像を建てることになりました。銅像を建てるための募金活動が始まり、首から上を高村光雲、体を岡崎雪声、犬を後藤貞行が作製しました。写真嫌いだったため写真がなく、西郷の弟の従道と従兄弟の大山巌の二人をもとにイタリア人画家キオッソーネがスケッチをしたものをもとに作製され、高さ約3.7m、重さ約80tもある像は、造船技術を応用して鋳造されました。

西郷像

帝都名所 上野公園及び西郷隆盛銅像

発行年 明治末年〜昭和戦前  資料No.eh_0908

関東大震災と戦争

大正12年(1923)に関東大震災が起き、園内には仮救護所、医療班、臨時産院などが約40箇所仮設されました。翌大正13年には、皇太子(昭和天皇)の御成婚を記念して、上野公園などが皇室から東京市に下賜されました。昭和16年(1941)から始まる太平洋戦争では、園内の鉄柵・くさり、銅像、寺院の鐘などは供出され、上野動物園のライオンやトラなど25頭が処分されました。また不忍池畔では農園が開墾され、園内には地下壕がつくられ、高射砲が置かれました。東京大空襲では避難地と仮埋葬地としても使用されました。

東京大震災大火ノ惨状

(東京大地震大火ノ惨状)上野公園より見たる大火後の市中

発行年 大正12年(1923)    資料No.eh_1022

文化施設の集まる上野公園へ

終戦を迎えた園内にはバラックが立ち並び、不忍池は水田となり米が作られていました。その後、昭和31年に制定された都市公園法と上野公園が下賜された時の条件を踏まえながら、戦争によって荒廃した園内の整備改修が進められ、現在見ることのできる文化施設の集まる上野公園となっていきました。

上野動物園

上野動物園

発行年 昭和7年(1932)9月   資料No.eh_0923

上野公園動物園組上ケ 復刻版

上野公園動物園組上ケ 復刻版

出版社 玉川大学出版部  発行年 平成22年(2010)   資料No.113583140



江戸時代からはじまった「おもちゃ絵」で、組上燈籠(くみあげとうろう)と呼ばれる錦絵です。錦絵を切り取り、風景、建物などを組み立てるもので、この組上燈籠は明治24年当時の上野動物園の施設や動物たち、来園者を再現しています。園内には「うおのぞき」と呼ばれた水族館も公開されていました。

ご紹介した以外の浮世絵や絵はがき、明治時代の上野公園の地図、関連書籍なども展示しています。ぜひお越しください。

お問い合わせ

中央図書館
電話:03-5246-5911  ファクス:03-5246-5914
よくある質問(メールをする前にご確認ください)
メールによるお問い合わせ(メールフォーム)

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