令和4年 新春対談 |
今回の新春対談は、恩賜上野動物園長の福田豊氏をお招きして、上野精養軒で行いました。 |
福田豊氏 (恩賜上野動物園長) |
1959(昭和34)年、東京生まれ。1984(昭和59)年、東京都の職員となり、葛西臨海水族園長、多摩動物公園長を経て、2017(平成29)年4 月より現職。獣医師、博士(学術)、日本動物園水族館協会会長、日本博物館協会理事、国立科学博物館評議員等 |
昨年を振り返って |
区長 あけましておめでとうございます。 園長 あけましておめでとうございます。 司会 まずは、お2人に昨年1年を振り返っていただきたいと思います。昨年はどのような1年でしたでしょうか。
区長 昨年は、新型コロナウイルス感染症の変異株の影響もあり、感染拡大の波が繰り返され、区民生活や区内経済に大きな影響を及ぼしました。
園長 昨年は、やはり新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって、上野動物園は開園以来最も長い臨時休園を余儀なくされました。期間にして160日間でしたが、その間もやはり動物のことを楽しみにしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいましたので、動物たちの情報をオンライン等で、積極的に発信をして参りました。たくさんの方に楽しんでいただけたのではないかと思います。
区長 「シャオシャオ」と「レイレイ」は、「夜明けから未来へつながる」という意味があり、日本中の皆さんに「元気と希望」を与える願いのこもった名前ですね。 園長 「シャオシャオ」と「レイレイ」の双子の赤ちゃんパンダの誕生は、我々も初めての経験でしたので、大変な思いをしました。 |
恩賜上野動物園140周年について |
司会 次続いては、「恩賜上野動物園140周年」についてお聞きしていきたいと思います。
区長 1882(明治15)年、恩賜上野動物園は、上野公園に博物館の付属施設として開園した、日本最古の動物園です。 司会 ありがとうございます。それでは続きまして、福田園長にお聞きします。これまでの歴史を振り返っていただき、特徴的な出来事をお伺いします。
園長 1882(明治15)年に、日本で初めての動物園として開園した当初は、東園の一部の地域だけでした。ですが戦後、西園に園域を拡大して今の広さになりました。 |
ジャイアントパンダの来園50周年について |
司会 今年はさらに、ジャイアントパンダが来園してから、50周年を迎えます。日本と中国の国交回復の象徴として1972(昭和47)年にオスの「カンカン」とメスの「ランラン」が来園しました。 区長 恩賜上野動物園のパンダは、1972(昭和47)年、今から50年前、日中国交回復の調印を記念して「カンカン」、「ランラン」のペアが日本で初めて来園しました。その時は、上野はもちろん全国の皆さんが「熱烈歓迎」したことを覚えています。
園長 ぜひ、記念のイベント等ができたら楽しいと思いますね。 |
今後の区政と恩賜上野動物園 |
司会 恩賜上野動物園の今後について、福田園長にお伺いします。恩賜上野動物園では、希少動物の種の保存として、飼育繁殖に取り組む「ズーストック計画」など、これまでもさまざまな取り組みを行っていますが、今後の取組みを教えてください。
園長 上野動物園では、「ズーストック計画」というものを策定しまして、2018(平成30)年に「第二次ズーストック計画」として見直しを行いました。見直しにあたりましては、対象とする種を50種から約120種に増やしました。野生生物の保全に貢献するために、環境教育や野生生物が生息する自然環境のことを知っていただく普及啓発の機能を強化するという計画を作りました。 区長 新型コロナウイルス感染症によって、区民の生活および事業者の活動への影響や、テレワーク・時差出勤の導入による働き方改革、デジタル社会の形成に向けた取り組みなど、社会経済状況が変化しています。 |
今年の抱負 |
園長 まずはやはりコロナ禍が早く収束して、収束した上にはたくさんの方々に動物園にご来園いただきたいというのが、最大の目標です。 区長 2022(令和4)年は、新型コロナウイルス感染症の感染状況や景気動向を注視しつつ、「感染拡大防止」と「社会経済活動の活性化」の調和を図りながら、臨機応変に必要な対策を講じてまいります。 |
恩賜上野動物園長 福田豊 台東区長 服部征夫 |