令和7年

新春対談 浅草公会堂にて

天海 祐希 氏
台東区出身。昭和60年宝塚音楽学校入学。昭和62年宝塚歌劇団入団。平成5年、史上最短で月組男役トップスターに就任。平成7年に退団後、俳優として本格的に活動を始める。舞台・映画・ドラマ・CM・バラエティーなど幅広いジャンルで活躍している。

浅草芸能大賞と新成人へのメッセージ

区長 明けましておめでとうございます。

天海 明けましておめでとうございます。

司会 本年の対談のお相手は台東区出身で俳優の天海祐希さんです。
 天海さんは令和2年度第37回浅草芸能大賞で大賞を受賞されました。

区長 受賞されたときの天海さんの本当に嬉しそうな笑顔が強く印象に残っています。

天海 やっぱり生まれ育った場所に認めていただけたような気がするというか、何よりも母がすごく喜んでくれまして…、とても誇らしいことだなと思いました。

区長 令和3年には、新成人へお祝いのビデオメッセージもいただきました。前途ある若者へのメッセージということで、気持ちが入りましたか。

天海 新しい時代を創っていってくださる皆さん、期待と不安でいっぱいになっている皆さんにどんな言葉をお掛けしたらいいのだろうって、すごく思いました。私がいつも決断するためのベースになっていることをお伝えして、どこか心の片隅にでも残していただけたらなと思ったので、それをお話しさせていただきました。

区長 天海さんは平成3年の広報「たいとう」でインタビューに答えてくださっていたんですよね。小さい頃から大のお祭り好きで、おみこしを担ぎ回っていたと答えています。私がご自宅にお伺いしたときも、下谷神社のおみこしを担いでいて、地元は大変な盛り上がりでしたよ。
天海 近所のおじちゃん・おばちゃんからですね、「あなた今年は帰ってこられないの」って言われて、「ちょっと仕事で行けない」って言うと、ものすごく非難を受けるんです。「お祭りなんだよ」と言われます。それも見越して、最近はマネージャーさんに「ここは予定を入れないで」って伝えて、毎年実家に帰って、近所のおじちゃん・おばちゃん、それから親戚・家族なんかとお祭りを楽しんでいます。

印象に残っている台東区の出来事

司会 ここからは、天海さんに台東区での思い出を伺ってまいります。天海さんが台東区でお生まれになってから、宝塚音楽学校に入学された頃までの台東区の出来事をボードにまとめています。

天海 パンダの上野動物園来園はもう大ニュースになりまして。ものすごい人数で並んでいたので、止まって見られないの。パンダが後ろで寝ちゃっていると、姿が見えないんですよね。「どこ、どこ」って言っているうちに通り過ぎちゃうっていう経験を何回かしましたね。それでも遊んでいる姿とか寝転がっている姿が本当にとてもかわいくて、よく見に行きました。

区長 今も上野のシンボルとして、本当に日本中の皆さんに愛されていますね。

天海 浅草公会堂が落成したのはすごく覚えています。小学校時代、バレエをやっていたんですが、その発表会もここでやりましたし、いろいろ思い出があるんですよ。
 隅田川の花火大会、今じゃもう恒例のようになっていますけれども、この時に復活したんでしたね。
 2階建てバスもすごく覚えています。2階に乗るのが楽しみで。

区長 浅草公会堂は花道のある初めての公会堂で、大衆芸能の殿堂として、今も浅草の名所になっています。天海さんの手形とサインもありますね。
 2階建てバスも、全国から大変注目されましたね。

司会 下町風俗資料館もこの頃に開館したんですね。

天海 祖母なんかを連れて一緒に行くと、とても懐かしがって。「これは何に使うの」、「これはこうやって使っていた」って話をおばあちゃんとできたり。すごく楽しい資料館でしたね。

司会 今リニューアル工事で休館中なんですよね。

区長 今年の3月に「したまちミュージアム」としてリニューアルオープンするんですよ。昭和30年代の提灯(ちょうちん)屋さんや長屋などを原寸大で展示します。当時の暮らしの様子を再現する大型映像も流れますので、ぜひお越しください。

天海 ぜひ、伺いたいと思います。

子供の頃の遊び

司会 どの辺りで遊ばれていましたか。

天海 小学校時代はやっぱり上野・浅草ですかね。バスに乗って浅草まで行って、大好きな駄菓子屋さんに行ったり。当時は結構ありましたしね。浅草も上野公園も本当に自分のお庭のように遊びに行ってました。上野公園はいっぱい見るところがあって、無料で入れるところとかもいっぱいありましたし。サイクリングコースがあったんですよ、噴水の横に。300円もあったら1日遊んでいられる。私もずる賢いので、7歳下の弟を連れましてですね、弟を連れて子守をすると母がちょっとお小遣いをくれて。弟を連れて飲み物とお弁当を持って上野公園に行って、動物園で遊び、子供遊園地っていうのがあって乗り物に乗ったり。浅草の花やしきに行ったり。

区長 随分、行動範囲も広かったようですね。
天海 小学校時代は公園を転々と遊びに行って。違う小学校の子たちとぶつかって、自転車で逃げたり、自転車で追っかけてとか、やっていましたよ。そういう子たちが中学校で一緒になるんですよね。あのときけんかしたよねと言いながら。親御さんたちも人情あふれる方が多かった。台東区の方ってね。だから、子供たちもその人情に触れているんですよね。近所の人の。どこかでけんかしても、けんかしたらすごく仲良くなってるとか。あとはちょっと元気がない子をみんなが気にかけるとかすごく多い。情に触れて成長できた小中学校時代だったなと思います。

区長 向こう三軒両隣の温かい絆。そういうところは台東区は本当に濃く残っていますね。
 当時の子供たちの遊びで思い出に残っていることは何かありますか。

天海 幼稚園、小学校の頃って、道路で遊べたんですよ。玄関の道路のところで、それこそ花火をやったり、道路にチョークで絵を描いて遊んだり、よく遊んでましたね。いろんなものが進んで便利になっていく反面、できなくなっていくこともある。これ危ないっていうことに気が付いて、できなくなっていくこともあるでしょうけど。
 家の前で遊んでますから、大人の目も結構あったんですよね。玄関開けると子供たちが見えるが、いなくなったら探しに行く、とか。なんかとってもいい時代だったなと思います。

司会 先ほど、駄菓子屋さんなんていう話もあったかと思いますけれども、お好きなお菓子とかはあったんでしょうか。

天海 麩菓子っていうんですか。あれ大好きで、よく買って食べてましたね。駄菓子屋では小学校が違う子とも交流ができたり、店番のおばあちゃんに、これはこれと一緒に買えないよって教わったり。そこで、ちょっと社会を知るというか、そんな場所でしたね、交流の場だった。

司会 駄菓子屋さんにちなんだ映画にもご出演されていると伺っていますが。

天海 そうなんです。先月12月から公開になっているんですけれども、「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」というお話で、そこの主人の「紅子さん」という役をやらせていただいて。3時間の特殊メイクをしましてですね。何となく子供の頃を思い出すような、ノスタルジックな感じで。下町風俗資料館にあったような路地を通ってお店に行くんですね。下谷神社の裏なんかにも結構あった路地。とっても懐かしかったですね。

司会 大人もちょっと昔を思い出すような。

天海 お子さんから見ると、ちょっとこれは怖いな、こういうことやったらこうなっちゃうんだなっていう教訓にもなるお話ですし、大人が観ても「確かにね~」って。ご家族で楽しんでいただける映画だと思います。

区長 本当に駄菓子屋さんは今はもう少なくなりましたけれども、その映画、ぜひ観せていただこうと思います。

司会 少しご紹介をさせていただきますと、「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」は叶えたい願いがある人の前に駄菓子屋が現れまして、そこで買った不思議なお菓子を食べると、さまざまな効果が得られるというお話なのだそうです。

区長 夢がありますよね。

天海 はい。でも結果それで助かったとしても、自分の力でそれを続けていかなければどうにもなりませんよっていうことを教えてくれる映画なんです。

司会 もし天海さんが子供の頃、銭天堂に行けていたとしたら、どのような願いが叶うお菓子を買っていたと思いますか。

天海 今思うと、買えなくて良かったなっていう気はしますね。いいことも悪いことも貴重な経験を一つできないで大人になってしまったかなっていう気もするので。でも大人になってから何が欲しいかなって考えたときに、バイリンガールっていう人形があるんですが、それをつけると世界各国の方とお話ができる。それは欲しいなと思って。

池波正太郎氏原作の映画に出演して

司会 天海さんは2023年に池波正太郎氏原作の映画「仕掛人・藤枝梅安」にもご出演されていますよね。服部区長はこの映画をご覧になりましたか。

区長 もちろん観ましたよ。2023年は池波正太郎生誕100年の年だったんですね。区で実施したこの映画の特別上映会、また、作品の舞台を巡るツアーや記念イベントなども本当に好評でした。
 江戸時代の作品を演じられて、いかがでしたか。

天海 楽しかったですね。私たち、俳優の仕事をさせていただいていても、なかなか時代劇に当たることがないんですね。だから、思いっきり映画で時代劇をできるっていうこともすごく楽しみでしたし、共演の素晴らしい皆様と池波先生の世界を作り上げられると思ってとても楽しかった。また、悪女といいますか、悪いことに手を染めているっていうか、彼女にとっては正義なんですけど。そういう役を思いっきり演じられるっていうのはすごく楽しかったですね。ありがたいことに割と正義感あふれる役が多いので、ちょっとダークな役がとても楽しかったです。

区長 池波正太郎さんは台東区で生まれ育ち、その作品には区内のさまざまな場所が数多く舞台として登場します。同じように、台東区で育った天海さんとしては、池波正太郎作品を通して、何か共感できることはありましたか。

天海 この作品でもそうなんですけれども、池波先生の小説には美味しそうな食べ物がいっぱい出てくるじゃないですか。こういう食べ物を台東区で召し上がっていたんだって。それがちゃんと、「池波先生がお召し上がりになった食べ物です」ってまだ残っている。そういうものに触れられるって、やっぱりちょっとわくわくしますよね。

区長 台東区は、今も人々を魅了し、心に生き続けている作品を生み出した、池波氏へ名誉区民の称号を贈り、その功績を後世に継承していきます。

今年の抱負と区民の皆様へ

司会 それでは最後に、今年の抱負と区民の皆様へメッセージをいただきたいと思います。

天海 若い頃はね、こういうことをしてみたい、どこに行ってみたい、こういう役をやってみたい、こういう作品に出てみたいっていうことを、いろいろ考えた時期もあったんですけれども。だんだん年齢が上がっていくと、とにかく毎年健康で、そして小さな幸せを大事にして。こういうお仕事をしていると、皆さんに夢を与えられるような、なんて大きなことを言ってしまうんですけど。若い頃はそう思った時期もありました。でも今は一人でも私が出た作品を見て、ああ明日も頑張ろうって思っていただくことができたら、それこそが自分の幸せだなって思うようになっている。どこかの誰かのために、どこかの誰かが楽しんでいただけたらいいなっていう気持ちを大切にして、一つひとつの作品を大事に、毎日お仕事していきたいなって思っています。

司会 続いて、区民の方へのメッセージをお願いします。

天海 私はこの台東区で生まれ育ち、台東区の情緒や台東区の文化、そして歴史に触れ、今の人間形成ができていると思っています。家族ともに親戚ともにまだまだ台東区に住んでおりまして、台東区の話はいつも聞かせていただいております。とってもすてきな人情あふれるまちだと思っているので、ぜひ皆さんお一人おひとりがこのまちをもっと活気づけるように、そしてこの台東区というまちを楽しんで住んでいただけたらいいなと思います。私もこれからはですね、台東区の魅力を少しでも世界中の皆さんに伝えられるようなお仕事ができたらいいなあなんて思っています。これからも皆さんと台東区を盛り上げていけたらいいと思っています。よろしくお願いします。

司会 では続いて服部区長お願いします。

区長 今年は大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が放送されます。舞台の中心である本区の魅力や、今もなお引き継がれる、多彩で粋な江戸の文化を区民の皆様と再認識する絶好の機会です。その魅力を発信し、地域の活性化につなげたいと考えています。
 また、今年は「台東区次世代育成支援計画(第三期)」を策定します。台東区にはお祭りや多くの行事など、お互いに支え合う地域の力があります。この力を活かし、子供・若者の成長を温かく見守るまちを実現してまいります。
 本日の対談で、天海さんが生まれ育ったこの台東区を、今でも好きでいてくださることに大変感銘を受けました。「ひと」も「まち」も輝き、区民の皆様が住んでよかった、暮らしてよかったと誇りと愛着を持ち続けられるまちの実現に向けて、決意を新たにしています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。