エレキテルの復元で有名な平賀源内は享保13年(1728)、讃岐国(現在の香川県)に生まれました。本草学者としての活躍のほか、発明、浄瑠璃、戯作など多彩な才能を発揮しました。安永8年(1779)に殺傷事件を起こして獄死し、台東区橋場にあった総泉寺に埋葬されました。寺は後に移転し、現在は墓のみが残されています。
源内は、蔦重から依頼を受け、福内鬼外(ふくちきがい)のペンネームで吉原細見『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』に序文を寄せ、話題になりました。
写真:平賀源内の墓( 橋場2-22-2)
●本草学者としての源内
本草学は中国古来の薬物学で、薬用とする動植物や鉱物の効能などを研究する学問です。源内は、江戸に出て、田村藍水(たむららんすい)のもとで本草学を学び、宝暦12年(1762)に湯島で全国から集めた物品を展示する「東都薬品会(とうとやくひんえ)」を企画しました。この薬品会は前年に引札(広告)を印刷して全国から出品を募った大規模なもので、日本初の博覧会ともいわれています。さらに源内は、この薬品会に出品された物のうち360種を絵と文章で解説した本草書『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』6冊を執筆しました。
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