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【スライド・トーク その4】名園「蓬莱園」 後半

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更新日:2021年1月20日

2)明治・大正・昭和時代
ここでは、スペースの関係上展示できなかった書籍を中心に見ていきます。


『Tokyo and its undertakings』東京市役所、1929年(資料番号121289979)
 昭和4年発行の東京市内の名所を撮影した写真集に、ありし日の蓬莱園の姿、船着き場と柳の木の写真が掲載されています。

 上の写真の景色は、江戸時代の『蓬莱園記』口絵の「綾オル岸」と名付けられた図と合致します。関東大震災で被害を受けながら、満々と水をたたえている姿は健在で、舟こそありませんが、すり減った石段も何ともいえない風情をかもしだしています。


山口正路編『蓬莱園』(資料番号121291330)松浦伯爵家発行、明治43年(1910)

 次にご紹介する写真集は、松浦家により発行された豪華本です。表紙は、松浦家の旗印でもあるカジノキの葉の絵が散らされ、 大和やまと とじという綴じ方の大型本です。掲載されている写真はどれも美しく、色彩がなくても四季折々の姿が目に浮かびます。

 この写真は、手前に「 千引ちびきのはし」という大きな一枚岩の石橋から、池の向こうの建物を望む写真です。ここでは、橋と建物を結ぶ池の岸が湾曲しているおかげで、視線が自然と建物に導かれるようになっています。この湾曲した岸辺は、「しるべの みぎわ」と呼び、梅や桜、藤のような香りのある華やかな樹木が植栽されていました。

 この部分も『蓬莱園記』口絵に描かれています。図の右上から手前に岸が続いていますが、この図では湾曲がわかりにくくなっています。ただし、池面まで幹を伸ばす桜の枝や藤棚もきちんと描かれています。こちらの図は、写真とは逆から見た景色となっています。


山口直路編『蓬莱園』(資料番号121291355)松浦伯爵家発行、明治43年(1910)

 写真集『蓬莱園』の発行の1年後、同じく松浦家から同じタイトルの『蓬莱園』という写真集が発行されました。写真は、東岸の雪景で、「辛亥」つまり明治44年(1911)1月20日に撮影されています。この岬は「さし出の崎」と呼ばれ、雪が降り積もった松の上方に細かく枝分かれしたイチョウの姿が見えます。このイチョウが、関東大震災でも焼け残り、現在、都の天然記念物「旧蓬莱園のイチョウ」として都立忍岡高等学校の敷地内に保存・公開されています。
 都立忍岡高等学校の前身の東京市立忍岡高等女学校は、昭和15年(1940)から池を埋め立て、新校舎を建設しました。またそれよりも前の大正15年(1926)、柳北尋常小学校(現、柳北スポーツプラザ)は、関東大震災で焼失した校舎に代わり、新校舎(現存)を蓬莱園の南側に建設しました。はからずも蓬莱園苑池のほとんどが、教育施設に生まれ変わったのです。


 以上みてきたように、一つの資料ではっきりしなくても、複数の別の資料によって新事実が判明することもあります。大名屋敷・大名庭園は、まだ知られていない事実があります。この機会に資料を組み合わせて、調査されてはいかがでしょうか?

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