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【企画展休止中】企画展「台東区の大名屋敷と大名庭園」見どころをご紹介

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更新日:2021年1月8日

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、現在、郷土・資料調査室は閉館しております。それに伴い、企画展も休止中です。再開につきましては、ホームページ等でお知らせいたします。
彩色がある絵図・浮世絵・和本は、1ヶ月ごと(前・中・後期)に展示替えをいたします。
ホームページ上では、各期間の見どころを数点ピックアップしてご紹介します。

前期展示 令和2年12月18日(金曜日)から令和3年(2021)1月20日(水曜日)

東京第五大区小区分絵図 明治8年(1875)刊

 右側が北を指し、幕末に板行された切絵図「上野下谷外神田辺絵図(中期展示)」の範囲とほぼ同じ区画が示されています。

 明治6年に既に公園と決定していた上野山内には、「文部省御用地」と記され、めまぐるしく変化する情報に間に合わない様子がうかがえます。

 中央の三小区に「下谷竹丁/陸軍造兵司御用地」とあるのが、秋田藩佐竹家上屋敷跡です。しかし、陸軍の施設は建設されることなく、明治18年頃には「佐竹の原」と呼ばれ、雑草がはびこり見世物小屋が建つ地となったと、仏師・高村光雲は回想しています(『高村光雲懐古談』)。



下谷辺より浅草迄之絵図(資料No.2015_chi_005)安永・天明年間(1772~89)写

 左半分が朱色に塗られ、右半分が白いままの絵図です。朱色が寺社地、白色は武家地・町人地で混在しています。現在の区中央部から南部にかけての地域で、町屋よりも武家地が数の上で勝っています。また大名の敷地は、ひとつひとつの面積が広くなっています。

 絵図上方の米蔵の南隣の3家の屋敷の裏口は、同時代の『隅田川両岸一覧(前期展示)』に描かれています。最南端が「本多中務少輔(岡崎藩中屋敷)」で、これに続く「松平右近将監」は館林藩主の官位を、「松平美濃守」は高崎藩主の官位をそれぞれ指します。ただし、館林藩・高崎藩ともに別に上・中・下屋敷があるため、この場所はかかえしきかと思われます。
 この付近は、幕末に板行された切絵図「浅草鳥越堀田原辺絵図(後期展示)」では、2家に減っており、岡崎藩中屋敷は変わらず、その隣は「松平伊賀守(上田藩上屋敷)」へと所有が変わっています。



隅田川両岸一覧 下巻(資料No.2019_WA_014)
沢田東江撰/鶴岡蘆水画 天明元年(1781)5月5日
 隅田川両岸を、まるで船上から眺めているかのように連続して描いています。上巻は墨田・江東区側、下巻は台東・中央区側の風景です。

 上の図は、右側の幕府米蔵から続く岡崎藩中屋敷ら3家の裏門の場面です。えてして幕府の役所(御米蔵)は描かれない傾向にあり、本書は珍しい作品といえます。
 本書の影響を受けた葛飾北斎筆、享和元年(1801)刊『絵本隅田川両岸一覧』では、武家屋敷を殊更に描くことなく、クローズアップが多くを占めています。なお、本書は元の装丁である絵巻物を折本おりほんに仕立て直しています。

全期展示 令和2年12月18日(金曜日)~令和3年(2021)3月14日(日曜日)

2つの『蓬莱園記』
蓬莱園記 上巻 (資料No.2019_WA_001) 橘守部/著  明治24年(1891)3月25日


 全体を通しての見どころは、2つの『蓬莱ほうらいえん』です。「蓬莱園」とは、寛永9年(1632)ぼりえんしゅう作と伝わる、ひらまつ家上屋敷(現在の浅草橋)にあった大名庭園です。大正12年(1923)の関東大震災で大半が失われ、現在は池の一部と大イチョウが残るのみです。
 しかし、庭園の案内記『蓬莱園記』を読むと、この庭にこめられたひとつひとつの景物の意味が、実感をともなって想起できます。
 今回全期間にわたって、「松浦伯爵家藏書」の朱印(右下)がしてあるものを展示します。チラシに紹介した口絵の図版を2種類並べて展示しますので、当時流通していた本と松浦家旧蔵の本と見比べて違いを発見してみましょう。

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