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1920年頃、川崎造船所社長の松方幸次郎は、日本に西洋美術を紹介しようと考え、ヨーロッパで絵画等の美術作品を収集しましたが、第二次世界大戦後、フランスで収集した数多くの美術品(松方コレクション)は、敵国財産としてフランス政府の管理下に置かれることになりました。
昭和28(1953)年、日仏文化協定に基づき松方コレクションは日本へ寄贈返還されることが決まりましたが、フランス政府は、返還条件として、フランス美術を展覧するための新美術館の設置を要望しました。この条件を満たすために建設されたのが、国立西洋美術館です。
新しい美術館の建設には、世界的な建築家ル・コルビュジエが設計者として指名され、昭和30(1955)年に来日し、建設予定地等を視察しました。ル・コルビュジエが提出した基本設計を補足するため、細部にわたる実施設計はル・コルビュジエに師事した前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人の弟子が協力して行ないました。 |
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昭和33(1958)年3月に建設着工した美術館は、昭和34(1959)年3月に竣工し、6月10日に開館しました。現在は松方コレクションをはじめとする美術作品と同様に、美術館の建物自体が貴重な文化財となっています。 |
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写真:国立西洋美術館 |
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美術館の設置場所の選定については、昭和28(1953)年、仮称「フランス美術館」設置準備協議会が設けられ、幾つかの案が出され、検討されました。例えば、東京国立博物館の表慶館を一時使用する案、国立近代美術館の隣接地に増築する案、大倉集古館を利用する案などが出されました。
昭和29(1954)年2月、「ルーブル美術展」準備のために来日したルーブル美術館のジョルジュ・サール館長は、美術館は「新設であること、場所は東京で上野であること」を希望しました。
このサール館長の発言が契機となり、昭和29(1954)年5月、上野公園内の凌雲院跡地に建設することが閣議決定されたのです。
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写真:国立西洋美術館 |
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