1887年(0歳) |
10月6日 スイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれる |
1900年(13歳) |
地元の美術学校に入学し、時計職人になるため彫金等を学ぶ |
1904年(17歳) |
新設の美術装飾高等科へ進学
教師のシャルル・レプラトニエの影響で建築を学び始める |
1905年(18歳) |
建築家ルネ・シャパラと協働で「ファレ邸」の設計に着手 |
1907年(20歳) |
初の建築作品「ファレ邸」竣工
北イタリアへの旅行後、ウィーンに滞在 |
1908年(21歳) |
パリでオーギュスト・ペレのアトリエに入所し、鉄筋コンクリートの建築技術を学ぶ |
1910年(23歳) |
ドイツ工作連盟を訪問。
ベルリンでペーター・ベーレンスのアトリエに入所 |
1911年(24歳) |
東方旅行(東欧、トルコ、ギリシア、イタリア) |
1912年(25歳) |
「ジャンヌレ=ペレ邸(白い家)」設計(1913年竣工) |
1914年(27歳) |
ドミノ住宅の開発に着手 |
1916年(29歳) |
「シュウォブ邸」(ドミノシステムを取り入れ、鉄筋コンクリートを用いた最初の住宅)設計(1917年竣工) |
1917年(30歳) |
パリに移り、アトリエを設立 |
1920年(33歳) |
画家アメデ・オザンファンらと雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」を創刊
雑誌のペンネームに「ル・コルビュジエ」の名前を使い始める |
1922年(35歳) |
従兄弟のピエール・ジャンヌレと共同でアトリエを設立 |
1923年(36歳) |
「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」設計(1924年竣工)
「レマン湖畔の小さな家」設計(1925年竣工)
「建築をめざして」を出版 |
1924年(37歳) |
アトリエをセーヴル街35番地に移設 |
1925年(38歳) |
パリ改造計画「ヴォアザン計画」発表 |
1926年(39歳) |
「新しい建築のための5つの要点」(近代建築の5原則)を提唱 |
1927年(40歳) |
ドイツ工作連盟(主宰ミース・ファン・デル・ローエ)の招聘で
ヴァイセンホーフ・ジートルンクに住宅2軒を建設 |
1928年(41歳) |
「サヴォア邸」設計(1931年竣工)
モスクワのセントロソユースのコンペ入賞
前川國男がアトリエに入所(~1930年) |
1929年(42歳) |
シャルロット・ペリアン、ピエール・ジャンヌレとの
共同制作による家具をサロン・ドートンヌに出品 |
1930年(43歳) |
イヴォンヌ・ガリと結婚
フランス国籍を取得 |
1931年(44歳) |
坂倉準三がアトリエに入所(~1936年) |
第2次世界大戦 |
1943年(56歳) |
モデュロール開発に着手(→1945完成) |
1945年(58歳) |
「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」設計(1952年竣工) |
1950年(63歳) |
「ロンシャンの礼拝堂」設計(1955年竣工)
吉阪隆正がアトリエに入所(~1952年) |
1951年(64歳) |
インド・チャンディガールの建築顧問に就任(都市計画に着手) |
1953年(66歳) |
「ラ・トゥーレット修道院」設計(1960年竣工) |
1955年(68歳) |
国立西洋美術館設計のため来日(11月2日~9日)
「チャンディガール高等裁判所」竣工 |
1957年(70歳) |
「国立西洋美術館」設計
妻イヴォンヌ死去(享年65歳) |
1959年(72歳) |
「国立西洋美術館」(3月竣工、6月10日開館) |
1960年(73歳) |
母マリー死去(享年100歳) |
1962年(75歳) |
「チャンディガール州議事堂」竣工 |
1965年(78歳) |
8月27日 カップ・マルタンで海水浴中に心臓麻痺で死去。
ルーヴル宮で国葬 |