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鰐口(寛永寺)

ページID:500341537

更新日:2024年2月20日

寛永寺
平成22年登載

 本鰐口は、青銅製、鋳造。両面に撞座がある両面式の鰐口で、大きさは、面径が48.1センチメートルあります。一方の面には下記のような銘文が左右に振り分けて陰刻されています。
「元和三年丁巳三月吉日」
「御大工 椎名伊与吉次」(潰されている)
 本鰐口は、銘文から元和3年(1617)に椎名伊予吉次が鋳造しました。寛永寺にもたらされた経緯及び使用されていた堂宇などの詳細は不明です。
 椎名吉次は近世初期(17世紀前半)に活躍した鋳物師で、徳川家康の関東入部に従って、慶長11年(1606)に三河国(愛知県)より下向、正保3年(1646)に病没したと伝えられます(「家伝史料」)。しかし、一方で天明てんみょう(栃木県佐野市)鋳物師のなかにも、椎名姓の鋳物師が多数確認でき、系譜等については今後の検討が必要です。
 作例は、慶長19年(1614)銘の擬宝珠ぎぼし(江戸城下乗橋)から元和7年(1621)銘の鰐口(山形県鮭川村庭月八幡神社)まで8例が確認されています。とくに江戸城や東照宮に関する作品が多く、幕府との強い関係が指摘されています。当時の江戸を代表する鋳物師で、区内では寛永寺所蔵の鰐口が2口(本鰐口と平成20年度登載の鰐口)知られます。
 寛永寺にもたらされた経緯は明らかでありませんが、区内に残る近世の鰐口として古いものに属し、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつです。


鰐口(寛永寺)

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