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町田久成墓

更新:2010年11月5日

津梁院
平成8年度登載

 津梁院には、東京国立博物館の初代館長・町田久成(1838−97)の墓があります。津梁院は上野寛永寺山内子院。寛永13年(1636)に起立されました。
 墓石は、円柱上に丸い笠が載る笠付塔婆形で、基壇に大きな自然石、周囲に小さな自然石を配す珍しい造りをしています。高さは約1.8メートル、正面に一乗比丘久成墓とあり、裏面の銘文により、墓碑が建てられたのは、没年(明治30年)の一周忌に当たる明治31年9月だったとわかります。
 町田久成は、天保9年(1838)薩摩国日置郡石谷(現・鹿児島県日置郡松元町)で生まれ、安政3年(1856)19歳で江戸に出て学び、慶応元年(1865)には、18人の留学生とともに渡英しました。帰国後は明治政府のもとで働き、明治3年、物産局が設けられたばかりの大学南校に勤めました。このときの部下に田中芳男がおり、この2人は、その後十余年にわたり互いに影響を与え続け、博物局・内山下町(現・日比谷公園)の博物館時代に、東京国立博物館、国立科学博物館、東京都恩賜上野動物園の3館の基礎を作ったことで、高く評価されます。特に久成は、古器物(文化財)の保護、複製(模写)を建議し、明治5年、蜷川式胤、内田正雄や画家高橋由一、写真家横山松三郎らとともに、正倉院をはじめとする社寺の宝物調査のため約4か月間出張しました(壬申検査)。私財を投じて、古書・古美術品を買い求め、少しでも散逸を止めようとした彼は、文化財調査や保護を提唱し、自ら実践した最初の人物といってよいでしょう。
 久成の墓は、滋賀県大津市の園城寺(三井寺)山内の法明院にもあります。久成は遺言により、師の桜井敬徳が眠るこの地を墓所に選びました。晩年の町田久成は、明治15年10月、わずか7カ月で、博物館館長職を退き、同23年、園城寺末光浄院の住職になり、精力的に仏教文化の保護に努めます。しかし、29年病を得て上京、寛永寺の子院である明王院(現在は廃絶)で療養していましたが、翌年9月15日、病が悪化し、東京上野の地において、60年の生涯を終えました。

町田久成墓
町田久成墓

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生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)
電話:03-5246-5828

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