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長安寺版木

ページID:344751080

更新日:2024年2月20日

長安寺
令和2年登載
 
 長安寺は大道山と号する臨済宗妙心寺派に属する寺院です。宝永元年(1704)に老山和尚禅師(享保9年[1724]寂)が開基となり、長安軒を安藤右京亮屋敷内に起立し、正徳2年(1712)に当所へ移転したと伝えます(『御府内寺社備考』)。また、別伝では、老山が曹洞宗寺院を寛文9年(1669)に開創するも、後に途絶し、明和6年(1769)に要関和尚(安永2年[1773]6月10日寂)が中興して臨済宗へ改宗したといいます(『天台宗明細簿』)。寿老人堂には、寿老人坐像がまつられており、江戸時代より七福神参として信仰をあつめました。
 長安寺版木は4点あり、年代が判明するものに安永3年(1774)、安政6年(1859)があります。内容から(1)札類1点、(2)絵像類2点、(3)縁起類1点に分けられます。
 札類には「閻魔王宝印」があります。この護符は、正月16日の閻魔参(『東都歳事記』)のために、幕末から明治初期に開版されたと推定されます。
 絵像には「千手観音坐像」「寿老人像」の二種があります。
 「千手観音坐像」は長安寺本尊の御影です。安永3年に、中橋桶町(中央区京橋一丁目)の遠州屋長七が奉納しました。長安寺は、安永年間(1772~81)に始まった「上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場」の二十二番札所で、奉納年代と一致します。このことから、本版木は霊場の成立時に、参詣者への授与を目的に開版されたと考えられ、長七は霊場開設に関係した人物の可能性があります。「寿老人像」は、当寺の寿老人坐像の御影で、安政6年に酒井五左衛門が奉納したものです。
 縁起類には「寿老人由来」があり、木造寿老人坐像の由緒だけでなく上野戦争に関する記述も見えます。東京などの文言から、明治期の開版と知れます。
 長安寺版木は、江戸時代中期(18世紀)から近代までの多彩な信仰に関わる資料です。とくに当寺は、谷中七福神の寿老人像をまつる寺として知られ、その由緒を伝える版木が残されていることも注目されます。また、関東大震災や戦災によって多くの文献史料を失った台東区にとって、人々の信仰を考える上で重要です。


寿老人像


寿老人由来

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