総持院版木
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更新日:2021年7月14日
総持院
令和二年三月登載
総持院は、金輪山最勝寺と号する天台宗寺院です。寺伝によれば、大久保七郎右衛門忠世が家康江戸入府に際して奉持した、大山不動尊と同木同作(良弁作)と伝える不動像を本尊として、慶長十六年(一六一一)忠隣の代に、栄松法印(寛永十六年[一六三九]寂)を開山として神田寺町に起立し、慶安元年(一六四八)に当所へ移転しました(『御府内寺社備考』)。なお本尊は「谷中不動尊」と呼ばれ、谷中町近辺の信者によって大山講中が組織されました。
また、当院と合寺した金輪寺は、鶴泉山宝松院と号する天台宗寺院でした。創建は不明ですが、寛永年中に御茶の水の組屋敷地内に起立したものの、たびたび寺地を移し、享保十六年(一七三一)に谷中元善光寺坂上の地に移転したと伝えます(『御府内寺社備考』)。その後、明治四十二年に総持院と合寺し、同時に総持院の山号を廣隆山から金輪山へ改称しました。
総持院版木は総持院及び金輪寺に所蔵された版木の総称です。版木は三点(札類一点、絵像類二点)があります。
札類に分類したものは、金輪寺にまつられた日限地蔵の縁日(毎月二四日)に参詣を促し、供米を勧募する案内です。金輪寺護摩堂には、かつて伝・弘法大師作の地蔵菩薩立像が安置されており、本像への信仰と考えられます。
絵像類には「不動明王坐像」と「角大師」があります。「不動明王坐像」は総持院本尊の御影で、明治元年(一八六八)に調製されたものです。「角大師」は元三大師良源が、鏡に映った自身の姿を書き写させたという護符の版木で、恐ろしい姿から「降魔大師」「鬼大師」等とも呼ばれます。
総持院版木は、江戸時代以来の総持院及び金輪寺に対する信仰がうかがえる資料です。版木は幕末から近代の調製ですが、当時の史料を失っている当寺において、信仰の一面を伝えており貴重です。さらに、関東大震災や戦災によって多くの資料を失った台東区にとっても、庶民の信仰を知る上で重要な資料です。
不動明王坐像
角大師
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