絹本着色朝顔・蜻蛉図
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更新日:2010年11月3日
真源寺
平成11年度登載
縦93センチメートル、横33センチメートルの大きさの画面に、二世歌麿が朝顔を、
本図に六樹園(ろくじゅえん)と画賛を寄せる石川雅望は、以前は宿屋飯盛(やどやのめしもり)と名乗る狂歌師でしたが、寛政の改革の影響で江戸にいられなくなり、しばらく活動をストップしていました。それが許されて江戸に戻り、活動を再開した時期が六樹園と名乗り始める文化5年(1808)以降のことなので、本図の制作時期も当然これ以降となります。また、いつまでに作られたのかと考えれば、作者のひとり、三陀羅法師の没した、文化11年8月8日までとなります。なお、初代喜多川歌麿は文化3年に亡くなっているので、本図の歌麿とは二世歌麿を指します。
本図の制作時期、文化5年から11年という時期は、狂歌界の大御所であった大田南畝が狂歌界から遠ざかり、鹿都部真顔と石川雅望がその後の狂歌界を二分し、徐々に対立を見せていた時期に当たります。この2人は自派の構成員獲得に向け、新しい試みをしており、本図もそういった宣伝活動を含めた試みの一つと考えられます。
絹本着色朝顔・蜻蛉図
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