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玉露童女追悼集 附.木造玉露童女坐像、玉露童女書状

ページID:976063085

更新日:2021年7月14日

浅草寺
平成二十八年三月登載
平成三十一年三月指定

 玉露童女追悼集は、池田定常(松平冠山)の娘、露姫の追悼のために多くの人々が寄せた句、連句、歌、長歌、漢詩文、画、追悼文、墨跡等を、定常が娘の供養のために全三〇巻(うち第七巻を失う)に仕立てて、露が日頃より篤く信仰していた浅草寺に奉納したものです。現存する二九巻には一六三六種の作品(うち一点逸亡)が収載されています。 
 浅草寺に奉納された時期は明らかでありませんが、本追悼集が成立した文政八年(一八二五)頃以降より定常が没した天保四年(一八三三)の間と推定されます。
 作品を寄せた人物は、松平定信、水野忠邦や松浦静山、鳥居耀蔵など、幕府の老中や他藩の藩主といった政治家や役人をはじめ、屋代弘賢、伴信友、中山信名、亀田鵬斎、大窪詩仏、酒井抱一、狩野晴川院などの学者や歌人、俳人、絵師、寺院の住職など、当時の一流の文化人たちであり、なかには商人や職人などの作品も多数見られます。また、女性の作品が多いことも特徴で、さらに幼女の追悼ということからか幼年者の作品も散見できます。
 本追悼集は、池田定常を中心とした文化人の交友が明確になるとともに、目的を一にした当時の文化人等の作品一六〇〇点以上を縦覧することができる重要な資料です。さらに歴史上叙述されることの少ない、小児の生涯を伝える資料であり、当時の児童教育を知るうえでも貴重です。
 木造玉露童女坐像は露姫の肖像彫刻です。文政十一年(一八二八)二月七日、父定常が浅草寺に娘の木像の安置を申し入れたところ、本堂内の愛染明王脇に安置されたとあり(『浅草寺日記』)、本像の奉納時期が知られます。

お問い合わせ

生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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