上野駅東西自由通路建設地点第3号住居跡出土資料
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更新日:2018年3月26日
台東区教育委員会
平成21年3月指定
上野忍岡遺跡群は上野公園を中心に広がる大きな遺跡で、上野台から不忍池の低地に位置します。旧石器時代からの遺跡があり、近世以前は台地の縁辺に集落が分布し、近世には寛永寺境内地となっていました。これまでに東京国立博物館等各所で調査が行われています。
上野駅東西自由通路建設地点(現パンダ橋)は、平成10年に発掘調査が実施されており、近世徳川家墓所など寛永寺子院の遺構の他、縄文時代前期、弥生時代末期、古墳時代後期、奈良・平安時代の住居跡5軒や中世の陶磁器などが発見されています。本調査出土品は一括して、平成13年3月に有形文化財に登載されました。
第3号住居跡は古墳時代後期の竪穴式住居跡です。火災で焼失しており、焼け落ちた屋根材などが炭化したまま残っていました。残念ながら北壁や東側が壊され、煮炊きする「カマド」は残っていませんでしたが、ほぼ全体の形が分かります。約4メートル四方の住居で、南側に出入口があります。土器等の遺物も多く出土し、完全な形のものも見られました。
貴重な出土品としては
金環は外径2.2センチメートルで、本来は二個一対です。金環は古墳の埋葬に伴い出土することが多く、当時の豪族の装飾品であったようです。上野の山には本来、前方後円墳である「
金環をはじめ本住居跡の出土品は、古墳時代の人々、特に豪族層の生活などを推測する貴重な資料です。
写真上 土師器坏、写真下 赤塗りの坏(右) 金環(中央) 甕口縁部(左右)
土師器坏底面
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