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木造四天王立像(寛永寺)

ページID:296134086

更新日:2024年2月19日

寛永寺
平成16年登載

 本四天王像は、寛文4年(1664)に大仏師左京法橋康乗さきょうほっきょうこうじょうによって宝樹院殿ほうじゅいんでん(4代将軍家綱の生母)の13回忌のために金銅釈迦如来坐像(都指定有形文化財)と共に制作され、霊牌所に安置されました(現在は御霊殿ごれいでんの須弥壇上に安置)。
 康乗(1644~1689)は京都七条仏師の25代で、寛文2年(1662)に法橋に補されました。この頃から東大寺大仏師職の要職にあり、将軍家や皇室に関係する仏像を多く制作しました。
 本像はヒノキ材の寄木造で、けいを結い宝冠を着けます。瞋目しんもく忿怒相ふんぬそうで、各像とも一邪鬼を足下に踏んでいます。光背は火炎付の輪宝光です。
 各像とも彩色がよく残っており、持国天・増長天・広目天・多聞天の身色は、それぞれ緑・赤・肉色・青です。台座底面には朱漆で銘文が記されています。
 四天王像の形と身色は鎌倉時代初期の記録(醍醐寺蔵「弘安7年東大寺大仏殿図」)に見えるもの同じで鎌倉時代以降、奈良を中心に流布した姿です。「日光東叡山御令旨写」(『御用覚書』収載)中に、造像にあたっては必ず、「如相伝、可令彫刻者也(相伝の如く、彫刻しむるべきものなり)」とか、「任大仏師家伝之旨、可作進之者也(大仏師家伝の旨に任せて、これを作り進むべきものなり)」とあるように七条仏師代々相伝の形が踏襲され、基本的な形に変化はつけられませんでした。
 本木造四天王立像は、近世初期の優れた作品であると同時に、造立時期、制作者、造立目的を知ることができ、区内の歴史を知る上でも重要な遺品です。


木造四天王立像

お問い合わせ

生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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